2013年1月8日火曜日

映画館とプラネタリウム。と、夜空。

映画館とプラネタリウム。と、夜空。


ローレンツやアインシュタインは座標で考えた。
だから、電磁気学との整合性がとれなかった。

基準系と慣性系の座標を重ねて、ちょっと回転させて、
斜交座標。

異なる慣性系座標の原点Oを重ねることにこだわり過ぎた。

自分の立ち位置は原点Oである。
動く列車中央にいる奴の立ち位置も原点Oである。

2つの原点Oは離れ続けているけど、同時に存在している。

なぜ、奴の原点Oを奴から奪って、
一瞬しか重ならなかった事実を無視して、
基準系座標を描いたものが立つ中心、原点Oに
重ねたままなのだろう。


等速直線運動している列車内に立つ奴が感じる世界中心。
ホームに停車している列車内に立つ奴が感じる世界中心。
ホームに立つ奴が感じる世界中心。

2対1だから、って、民主主義の多数決でもあるまいし。


目を瞑ってくれ。

電磁誘導の実験。コイルも鉄芯も実験観察者から離れている。
離れているが同時に存在している。

そして、実験観察者もコイルも鉄芯も同時に存在している。


実験観察者も原点Oとすると、
新しい世界が見える。

こんな言葉を紹介してもしょうがない。
けれども、なにを求めているかは、わかったはず。

光の世界で人間はどのように空間認識をやってるいるか
観察して、なにを見過ごしてきたか。

だんだんと、気付いていきましょう。



映画館に入る。スクリーンから最も遠い
一番後ろの席。席の上には小窓。

映写機から放たれた光子群。

小窓を通過し、
スクリーンにあたって反射し、
一番後ろの席に座っている観客の網膜に。

光を放った位置と受光した位置を同じとする。
スクリーンへ向けてキャッチボールした感じ。

ただ、ボールは1つじゃなく複数。












下の緑のポッチが座席。
映写機が映画館内に光子群を送り出す小窓。

座席には観測機と観察者を置く。

観測機は観察者と違って正確。


【素材】カウントダウン【フリー】


上映されているフィルムは、タイトル「カウントアップ」
映画が始まる前のカウントダウンの逆をアレンジしたもの。

一周すると100万分の12秒になる0.000001秒針。
下にはデジタルカウント。(秒数は適当、アバウト。)












距離計算さぼってるので数字はイメージ。アバウト。

レフト センター ライト 3つ表示。

映写機のレンズはスクリーンに比べて小さいので点として扱う。

映写機前の小窓では、「333」。これがスクリーンへ向かう。

スクリーン左右両端へと中央へは距離が違うから、
スクリーン上では「232」。これが一番後ろの席へ向かう。
このとき映写機小窓では「444」


一番後ろの席、観測機には、「131」
スクリーン上では「343」
このとき映写機小窓では「555」

映画館全体に埋め込んだアナログ時計は、
映写機小窓時間と同期している。

数学者の眼には映写機小窓時刻映像と
映画館全体に埋め込まれたあちこちのアナログ時計は
同じ数字を示している。

さて、ここだ。数字のことは計算で求められるから、
俺より優れた論理思考者は数学者も物理学者にも
無数にいるからまかして、

なぜ無学の俺が、100年間抑圧されていた科学の問題を
解けたのか。だ。

観測機にも観察者にも、
「131」
「242」
「353」
と、両側の数字に比べて「-2」の数字がセンターに見える。

観測機は事実を記録する。一方、観察者は。

手品の観客は、手品師によって、大きく動いた左腕の先、
左手に注目集中し、ほとんど動かない右手は、おろそか。

「131」という、横幅がある映像が眼球に入り、
網膜に焼きつく。

横幅がある映像が、ほとんど点になり倒立して
網膜に焼かれる。











http://ja.wikipedia.org/wiki/ピンホールカメラ

映画館でスクリーンに夢中になるとき、
観客は自分の存在を忘れ、

この光景は、

スクリーン位置での明滅が、
自分位置リアルタイムで

行われていると、思い込むのである。

スクリーンと網膜の距離間を忘れてしまう。

特殊相対性理論の問いは、

動いてる列車。
列車中心で、列車存在次の1秒予想方向に放たれる光子。
列車中心で、列車存在前の1秒過去方向に放たれる光子。

それでいて、線路と枕木は、ずっと同じ位置に居続ける。

列車内で光子2つは放たれた。
列車内で背中と背中を合わせてガンマン2人が3歩進む。

「1、2、3。バ、バーン。」

どう考えたって、2人のガンマンは、最初が列車中央なら、
進行方向に進んだガンマンも、逆方向に進んだガンマンも、
列車中央から等距離。相撃ちなら、そこで倒れてる。

列車は進む、どこまでも。

もちろん、まだなにを言っているかわからない。

スクリーンから網膜に光子群はやってきた。
座標外の情報伝達に使われていた、この光子群の存在が
無視されていた。無視さえしていない。

映画館で目を開けていれば気付くんだが、
座標と睨めっこしていた追随者は目を閉じて、
自分がスクリーン位置にいると思い込む。















こんな感じ。この上記絵図単体で論理思考すると、
やばいことになるんで、あまりお勧めしない。

空間が1つの塊かのように思い込んでいるとやばい。

ここで重要なのは、
原点Oに立っていると、
新大阪駅にいると、博多駅や東京駅のいまは見えないこと。

数直線を使うと、見えてると思えてしまうこと。
知識によるイメージってほんとやっかい。

もう1つ、絵図をアップ。















矢印は絵図の右方向や左方向示してるものだけだけど、
パソコン画面を映画館スクリーンに見立てて、

しかも、映画館スクリーンだと、ちょっと不具合あるから、
プラネタリウムドームにあとでしてもらうけど、

映写機や投影機の近くの席に座ってる自分をイメージしてくれ。

そうすると、不在の矢印方向が浮かんでくる。

自分の目ん玉そのものを映写機や投影機に見立てれれば、
そこから光子群が映像情報もって、スクリーンに向かい反射し
戻ってくる。

いま見ている絵図と網膜。この距離間。間合い。

画面へ向かう矢印@網膜
網膜へ向かう矢印@スクリーン


線路の上に立ってると、

事象が左側で起こってるか、
事象が中央で起こってるか、
事象が右側で起こってるか、

違ってくる。普遍的でないね。これも普遍的にする。

ところで、普通の特殊相対性理論の絵図。















原点Oに立ってる人が、
列車後方に光子があたった瞬間、
その時刻を知るみたい。

当然、事象の起きた現場は離れてるんだから情報遅延の
矢印ぐらいあってもいいのに。

それから、聡明な人は気付いてるだろうけど、

通常じゃない方の絵図2つは、
列車内で光子2つを放った位置、「光源」が移動してる。

いやー、全く奇妙だね。


対称的にするには、線路に立ってる人にも「光源」持たせないと。
こっちは動かないのかな。こっちも動くのかな。


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20130108 06:28